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zoom RSS 女優・飯島綾子 〜元祖・声優にしてマルチタレント〜 その3

<<   作成日時 : 2012/05/25 22:58   >>

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女優・飯島綾子についてだいぶ解明できたので、
今回は生没年月日を交えながら解説しましょう。

※2013/10/3追記:生年を訂正しました。
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上は「狂った一頁」出演時の飯島綾子さん。当時19才。

飯島綾子さんは、1907(明治40)年に、東京府東京市赤坂区に、「飯田日出子」として生まれました。
小学校卒業後の13才の頃に帝国劇場附属技芸学校に入学。
それから約2年間の養成を経て、女優・水谷八重子氏の居る劇団芸術座に入ります。

その後は所属劇団を転々とし、築地小劇場に客演として出演し、その後小劇場の劇団員として正式に所属することになります。
ここで俳優の三島雅夫氏と出会い紆余曲折の末めでたく結婚。その後彼女は劇団を去り、松竹に所属することになります。

その後はラジオドラマの声優として本格的に活動を始め、歌手として歌謡曲や、子供向けの童謡の吹き込み、御伽歌劇のレコードに多数出演するなど、「元祖・声優」といえる活躍ぶりを見せています。

また並行して日本舞踊家・藤間勘秀(ふじまかんひで)としても活動し、赤坂の自宅にお弟子さんを多数抱えて舞踊の稽古・指導をしていました。

しかしその後夫である三島氏の居た新協劇団が弾圧によって彼は何度も検挙されたため、親族からの強い要望で離婚を余儀なくされ、その後1939(昭和14)年、32才の頃に芸能活動を休止します。さらに翌年には新協劇団の強制解散に伴い、三島氏は約2年間投獄されてしまいます。

戦後は青山に住居を移し、日本舞踊を続けたようですが、三島氏との離婚と投獄以来体調を崩しやすくなり、長い間の療養の末、1954(昭和29)年9月25日、46才でこの世を去りました。

お墓は彼女の出身地である東京・赤坂の赤坂不動尊・威徳寺の墓地に存在します。(なお俗名は「日出」となっています。)

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