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zoom RSS 幻の歌姫・高井ルビー

<<   作成日時 : 2014/01/22 00:27   >>

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今回は大正から昭和初期にかけて舞台やSPレコードで活躍した高井ルビーさんを取り上げましょう。
高井ルビーといえば大正末期まで隆盛を極めた浅草オペラの歌姫の一人であり、作曲家佐々紅華と親交が深く、同氏の作曲「君恋し」の歌手として、また童謡オペレッタ「茶目子の一日」の母親役として戦前歌謡ファンに知られています。

ところが肝心のプロフィールはというと、国内で出版されたどの書籍にも載っておらず、現役当時(昭和初期)の芸能関連の名鑑にも彼女の名前はありません。そんなわけでどのようにして芸能界に入ったのか、書籍だけでは彼女の軌跡を追うことはほぼ不可能です。

ただし浅草オペラ関連の書籍や佐々紅華、テノール歌手の田谷力三の伝記や記事に何度か名前が登場します。その中でも良く知られているのは

「大学のパーティーに招かれた際に小道具用の指輪をはめて出たら、その場にいた学生に『あっ、高いルビー』と言われてそれを芸名とした」

「関東大震災に被災し浅草オペラが壊滅したのちオペラ復興を目指し、井上起久子、堀田金星(後の俳優・秋月正夫)、木村時子、榎本健一とともに『五彩会』を結成した。のち松竹に移籍。」

さらに近年出版された「SPレコード―そのかぎりない魅惑の世界」(志甫 哲夫著・2008年ショパン刊)の158ページでは高井ルビーの本名として「天谷春音」と注釈を付けています。

しかし、私のよく訪れるサイト「にいちゃんのなつめろダイアリー」の管理人、にいちゃん様がとても詳しく御存知であり、彼の幅広い人脈から得られた情報をもとに高井ルビーさんの軌跡が詳しく掲載されています。

1918年頃、歌手・井上起久子さんに師事。
1919年、松竹系列の「新星歌舞劇団」参加でデビュー。関東大震災後は浅草オペラ上演を唯一続けた「金龍館」オペラ女優。
1925年、東京松竹芸能入社。井上さんが述べられた高井さんの本名は、天田春音(あまだはるね)。「高井ルビーは私の弟子で、私が芸名をつけたんです(井上起久子さん・談)」。
1926年、ニッポノホンで、名曲『君恋し』初レコーディング=『君恋し(佐々紅華作詩作曲編曲・高井ルビー歌唱・ニッポノホンオーケストラ伴奏)』1929年にオリエント再発売。
1930年、コロムビアで別名・天田春美録音『乙女の恋は弱きもの(佐伯孝夫作詩・前田多喜男作曲編曲・天田春美歌唱・コロムビアオーケストラ伴奏)』発売。


さらに管理人様のお知り合いである戦前歌謡研究家・大川晴夫氏が「高井ルビーは佐々紅華と結婚し、芸能界を引退した」とはっきりおっしゃっていたようです。
ちなみに「日本ミュージカル事始め」(清島利典著・1982年刊)よると佐々氏は生涯に二度結婚をなさっており、1915年3月17日(婚姻届の日付)、三十代前半で一般女性の加藤リンさんと結婚(1922年6月8日に死別)、その後1927年に佐々氏が経営していたカフェの女給であった神田いゑさんと再婚しています。

つまり高井ルビーは神田いゑさん、ということになりますが、本名であるはずの「天田春音」または「天谷春音」とまったく結びつきません。そのため、「同一人物ではない」と主張する方もいるようです。

同一人物説を採るならば、時系列でいうと1923年に浅草オペラが壊滅し、その後生活のためにカフェの女給をしながら芸能活動を続け、1927年に佐々氏に見初められ結婚。その後もレコードを数枚出したのち1930年頃に引退…ということになるのでしょう。(かつての歌姫がアルバイトに精を出す、というのもちょっと考えにくいところでもありますが。)また、「天田(天谷)春音」という名前は高井ルビーの初期の芸名ではないか、とも考えられています。
なお、佐々夫人となったいゑさんはその後も生涯を共にし、紅華氏死去の翌年1962年1月17日に66歳でこの世を去っています。

(※この後高井ルビー=佐々夫人ではなかったことが明らかになります。詳しくは「その3」をご覧ください。)

(2014.7.13 一部を修正・追加しました。)

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