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zoom RSS 伝説の歌姫・安藤文子

<<   作成日時 : 2014/03/03 05:42   >>

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写真右が安藤文子さん。左はテノール歌手・田谷力三さん。

今回は浅草オペラに最も縁の深い、かつ伝説的な人物であるソプラノ歌手・安藤文子さんをとり上げましょう。

安藤文子さんは1895(明治28)年6月26日、東京府東京市にて父・勝太郎と母・さたの二女として生まれました。
(※当時の俳優名鑑での誕生日は1896(明治29)年6月7日となっていますが、牛島秀彦著「藤原義江 歌と女たちへの賛歌」によると戸籍上では上記の誕生日になっていたのでこちらが正しいと思われます。)

かつて文京区小石川にあった淑徳高等女学校(現在は東京・板橋にある淑徳中学校・高等学校)を卒業後、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)声楽家を修了。その後イタリア人の演出家ローシー氏に師事し、赤坂ローヤル館にて初舞台を踏みます。その後は浅草の東京歌劇座に参加し、七声歌劇団・新星歌劇団を経て、根岸歌劇団の歌姫として上演先の浅草・金龍館で人気を博します。
丁度この頃(大正末期)は「浅草オペラ」の黄金期といわれており、当時の人気ぶりは凄まじかったようです。
「ペラゴロ」と呼ばれる浅草オペラの熱狂的なファン達に支持を受け、当時の様々なオペラ関連の著書に絶賛の声が書かれています。また、大正12年に発行された「今古大番付」の中の「歌劇俳優大番付」では「小結」とされており、その後「横綱」になっています。

そんな中、文子さんは一人の男性と出会います。
新星歌劇団に参加している頃、戸山英二郎(のちのテノール歌手・藤原義江)を教え子に迎え、のちに夫婦となり1920年3月に入籍することになります。
(戸山(藤原)氏は著書で文子さんを「六つ年上」と記していますが、正しくは三つ年上のようです。)
ところが間もないころ、戸山氏が知人のすすめで文子さんを残し、ヨーロッパに単身留学してしまいます。彼は三年後の1923年にいったん帰国しますが、その年の11月頃に夫婦関係は解消されていたようです(藤原義江著「オペラうらおもて」の年表より)。また文子さんは戸山氏との間に洋太郎という男の子を出産していましたが、早世してしまいました。

以後、文子さんのソプラノ歌手としての活動は、「朝日新聞」1923(大正12)年5月24日夕刊に掲載された金龍館公演の記事「続オリヴェット」のオリヴェット役を演じたというのを最後にぱったり途絶えてしまいます。
(※その後、1924年2月までの活動が確認できました。詳しくは「その2」をご覧ください。)

あれだけ華やかに活動していた彼女が、なぜ突然資料から消えてしまったのか、その答えは1927年刊「音楽を志す女性へ」(安芸太郎・著)の「安藤文子」の欄に書かれていました。

”戸山は彼女(安藤文子)を棄て、亡父ドイツ人(注:正しくはイギリス人)の遺産を持って遠くヨーロッパに勉学に出かけました。失望の底で彼女は愛人のために祈りました。
その祈りがきいたのか、戸山善次郎(注:正しくは英二郎)は本名藤原義江となって錦を飾り帰国し、世界的テノールとして令名を馳せ、(中略)三度目の帰国の時(注:1927年9月)は「ビクターレコード赤盤アーチスト」という紙をつけて帰りました。
けれど戸山ならぬ藤原はもう彼女のものではありませんでした。
今では文子さんが、何処に何をしているか、私共は知るすべもない程です。
その後の長い旅回りの放浪生活に声も芸術的精進も磨滅され、秋風に頼りなく舞い狂う木の葉の如く─
もう再びあの美しかった、ソプラノリリコは聞けないのでせうか?”


つまり、1927年秋の時点で文子さんは音信不通になっていたということになります。
また、WEB上では「安藤文子は藤原義江の留学中(1921年〜1923年あるいは1927年までの間)に亡くなった、と述べている方もおられますが、その説は冒頭に挙げた牛島秀彦氏の著書「藤原義江」での一文
”「母の文子もまた、年を経ずして早逝してしまうのだが、その時の義江はそんなことは知る由もなかった」”
また、藤原氏の生涯を描いた古川薫氏の小説「漂泊者のアリア」の中の一文
”「弁護士に依頼して、もう舞台に立っていない文子の所在を探し離婚手続きを進めると、意外な報告が入って来た。文子は洋太郎の死後間もなく、その後を追うように病死しているのだった」”
からくるものと思われます。

当時(関東大震災前後)、ステージで見かけなくなった安藤文子さんの消息について様々な憶測が飛び交っていたようです。上記の説が真実であれば、浅草を賑わせた有名人なので当然新聞などで死去が報じられるはずなのですが、そういった記事や資料は今のところ見つかっていません。(もっとも、家族とともにひっそりと地方に移り住んでいれば、当時のマスコミに嗅ぎつけられない可能性もありますが…)

1923年に浅草オペラが衰退し、それに合わせるかのように姿を消した伝説のソプラノ歌手・安藤文子さん。現在でも語り継がれる偉業を彼女は残していきました。

(2014.3.7 大部分を加筆・修正しました。)
(2014.3.30 一部を削除・修正しました。)
(2014.6.13 出身校を訂正しました。)
(2014.7.13 一部を加筆・修正しました。)

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