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zoom RSS 元祖・「エロかっこいい」アイドル 河合澄子

<<   作成日時 : 2014/12/15 02:53   >>

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今回は大正期の舞台女優・ダンサーで浅草オペラのスター、河合澄子さんを取り上げましょう。

河合澄子さんといえば浅草オペラの歴史を語るときに外せない重要人物の一人であり、当時は先に活躍していたダンサー・澤モリノと人気を二分していたくらいの有名人で、大胆不敵な踊りで男性ファンを魅了していた、いわば現代でいうところの歌手・倖田來未のポジションに居た人物でした。言い換えれば「エロかっこいい」「エロかわいい」の元祖的存在でした。

おかげで戦前の風俗・民俗学の研究において非常に興味をそそられる人物のようで、早稲田大学スポーツ科学術院の杉山千鶴教授や「幻の近代アイドル史」の著者・笹山敬輔氏が彼女を取り上げて論文や著書を世に出しています。

さて、その河合澄子さんの生い立ちについて自分なりに追ってみました。

河合澄子(かわい すみこ)さんは本名「高久てう」(たかひさ ちょう)といい、1893(明治26年)6月17日、東京府東京市浅草区松葉町(現・東京都台東区松が谷1丁目)の貧しい家に生まれました。(浅草区鳥越の説もあります。)ただし彼女の生年月日には上記のものに加え、1897年(明治30年)5月、1898年(明治31年)5月など資料によって諸説があるようです。

判っている一番最古の公開プロフィールは1919年7月刊「歌劇と歌劇俳優」(藤波楽斎・著)に掲載された「明治廿一(にじゅういち)年(注:1888年)生」というのが存在しますが、本文の方に「大正五年(注:1916年)十九歳の時赤坂ローヤル館に…」の一文があるので1916年当時数え十九歳、よって1898年生まれということになり、冒頭の生年は「明治卅一(さんじゅういち)年」の誤りということになります。

ただ1920年刊「日本歌劇俳優写真名鑑」(藤山宗利・著)で具体的かつ正確と思われる生年月日「明治二十六年六月十七日」が公表されたのと、翌1921年に出た「日本歌劇俳優名鑑」(森富太・著)では「(数え年)二十九歳」と書かれていたので1893年説を採ります。

のちに本所区番場町(現・墨田区東駒形)へ住居を移し、彼女は立教女学校(現・立教女学院中学校・高等学校)に入学します。家が貧しかったためか卒業せずに中退し、カフェーの女給をしながら生計を立てていたようです。
そんなとき、数え十五歳だった彼女はふと気紛れな気持ちから有楽座の女優劇に参加したのがきっかけで舞台の道に進もうと決意します。
その後は作曲家・山田耕筰氏に師事し声楽を習ったとも、新宿病院に勤務したとも言われています。

その最中、彼女はオペラで有名な赤坂ローヤル館に入りますが一か月で首になったようです。その後当時の著名なダンサー・高木徳子一座の門を叩きますがそこでもすぐに脱落、続いて先述の人気ダンサー澤モリノ・石井漠の居る東京歌劇座に参加します。

その後の活躍については浅草オペラや当時の流行に詳しい方々がご存知のとおり、彼女は当時としては大胆かつ斬新な「エロ」を前面に押し出した売り方をして浅草に一大ムーブメントを巻き起こします。その様子については杉山千鶴氏の論文の方により詳しく書かれています(「河合澄子 杉山千鶴」と検索すると出て来ます。)
また、「ガチ坊の おもひで日誌」というブログにも読み応えのあるエピソードが書かれています。(文字を踏むとサイト様にリンクします。)
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また笹山氏は件の著書の中で「アイドルの元祖の一人」と述べています。それもその筈、当時には今でいうところの親衛隊のような集団ができ、舞台に彼女が出てくるや否や「フレー、フレー、澄子!」と掛け声をあげ、さらには対立するグループとひょうたん池のちかくで乱闘騒ぎを起こすなどし警察に検挙されたりするなど、当時のファンの熱狂ぶりは凄まじかったようです。また、「伊豆の踊子」などで知られる作家・川端康成も相当入れ込んでおり、彼女見たさに浅草の劇場に足繁く通っていたのも知る人ぞ知るエピソードです。

関東大震災後、浅草オペラが壊滅した後も彼女は地方巡業などで舞台に立ち続け、浅草に戻った後も森歌劇団、東京歌劇座、喜劇春秋座などで1933年頃まで活動していました。

その後の彼女についてですが引退後の消息についてははっきりと判っていないようです。杉山教授も彼女の引退後は追っておらず、笹山氏は「消息は分からず、あまり幸せな晩年ではなかったと思う」と著書で述べています。

ところが少し前に国会図書館でたまたま別の調べものをしていたところ、「都新聞」1938年(昭和13年)10月14日付に彼女の記事が写真付きで載っておりました。

それは7ページの演芸欄「失明勇士へ 河合澄子献金」というタイトルで、
それによると河合澄子さんは出身地である東駒形で舞踊稽古場を開き、後進の育成に励んでいたようです。
そしてその記事の中では、以前同新聞で紹介された福祉施設「失明軍人の家」に私財80円(現在の価値で15万円ほど)を寄付した、と書かれていました。
写真に写っている河合さんは眼鏡をかけた、見るからに品のあるご婦人、といった感じでした。現役時代は波乱万丈でも晩年は案外穏やかだったような気がします。

さらにその後どうしたのか、いつどこで生涯を終えたのかを知りたいので引き続き独自で調査していこうかと思います。

次回は河合澄子さんの晩年の手がかりを探りに東駒形に出かけた話を書こうかと思います。
(2014.12.22 本文を一部加筆・修正しました。)
(2016.3.14 本文を一部加筆・修正しました。)

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