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zoom RSS 元祖・「エロかっこいい」アイドル 河合澄子・その3

<<   作成日時 : 2016/03/14 03:16   >>

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上は浅草オペラで人気を博した「おてくさん」を演じた河合澄子、右は杉寛です。

2016年に入ってから初めての更新です。

河合澄子といえば浅草オペラの功労者でかつ「エロかわいい」アイドルの元祖、
そして今日でいうライブアイドルの元祖の一人として知られている人物です。
笹山敬輔・著「幻の近代アイドル史」で名前を知った方も多いと思いますが、
以前朝日放送「ビーバップ・ハイヒール」(2014年12月11日に放送分)でも笹山氏がゲスト出演しており、戦前から戦後のアイドルの一人としてほんの少しでしたが紹介しておりました。

さて、あれから私も少しずつ自分なりに情報を集め調べてきましたが、
新たに河合澄子について新しいことがいくつかわかりました。

まずは彼女の出身地ですが、
今までは東京市本所区番場町(現・東京都墨田区東駒形)という風に定説を挙げてきました。
ところが1930(昭和5)年刊、石角春之助・著「浅草女裏譚」という本で河合澄子の生い立ちに少し触れており、
「浅草の鳥越(現・台東区鳥越)辺りの貧家に生まれ、處々のカフェーを転々としていた」(216ページ)と書かれていました。

もう一つ、堀切直人・著「浅草 大正篇」という本では浅草オペラについて触れられており、124ページに
河合澄子の出身地として「東京府浅草区松葉町」(現・台東区松が谷)と書かれており、やはり貧しい家の生まれでカフェーで働いて生計を立てていたといいます。

鳥越と松が谷、どちらが正しいのかはわかりませんが、彼女の出生地は台東区(浅草近辺)なのは間違いないようです。

そして「河合澄子 その1」で触れた1938年以降の動向が少しですが明らかになりました。
以前、ある方からのメールで「河合澄子は1944年に舞台に出ていた」と教えていただきました。
その方によると「あめりか物語」「濹東綺譚」などで知られる作家・永井荷風の「断腸亭日乗」という日記に書かれていたということでした。
早速国会図書館でその本を見つけると、昭和19(1944)年の手記にこのような文章がありました。

「一月初七。晴。午後オペラ間に至り見事に河合すみ子三番叟を踊りゐるところなり」

これを見る限り、1月7日に彼女は舞踊団を引き連れてなのか単体で出演したのかはわかりませんが、確かに当時の浅草のオペラ館で踊っていたのです。
すぐさま当時の新聞の縮刷版で調べてみましたが、開演情報はオペラ館の文字はあったものの、河合澄子が出演するという情報はありませんでした。おそらくゲスト出演か、もしくはサプライズ出演だったのでしょう。
そしてこのわずか2か月後の3月31日にオペラ館は閉鎖が決まります。理由はこの後来るであろう空襲に備えるためとのことで(当時の新聞でも触れていました。)前述の「断腸亭日乗」にも当時の撤収の様子や、役者・ダンサーたちの送別会の様子が描かれていました。

ちなみに「断腸亭日乗」同年3月24日の手記で永井氏はオペラ館の関係者から「役者の大半(オペラ館専属の劇団員)は静岡の劇場へやる手筈です」と聞いたようです。河合澄子も一緒に向かったかどうかは今のところわかりません。

私は当初、河合澄子は地方に疎開などせずに当時の住居、東駒形に留まったものだと思っていました。
あの周辺は1945年3月11日の東京大空襲で甚大な被害を受けており、もしかしたら最悪彼女はあの地で亡くなったのかもしれない…と思い、昨年12月末に東京大空襲の資料センターに足を運んで調べたりもしました。
(事情を話したところ、センターの係員の方が丁寧に応対してくださり、手紙でお返事をいただきました。結果は「犠牲者の名前には無かった」とのことでした。)

ところがその数週間後、なんとなくネット上で河合澄子とキーワード検索をしていると、あるテキストサイトにヒットしました。それは作家・評論家の正岡容・著「東京恋慕帖」(原本・1948(昭和23)年12月20日刊)の一節 「浅草燈籠」の記述にある一文です。

「さるにても一条久子をはじめ私の一と目惚れした沢モリノも、天華を襲つた小天勝も、トーダンスの高木徳子も、いづれも、未だ冴えずして青春の名声と栄華をよそに、多くは陋巷に窮死、もしくは巡業途上で狂死さへしてしまつてゐる。偶々今日いのち永らへてゐるものも木村時子、河合澄子など、殆んど往年の全盛には比す可くもない、寥々の有様であるとはいへよう。」

とあり、文末に(昭和丙戌晩春病中稿)とあるので1946(昭和21)年5月ごろに書かれていたようです。
これが本当ならば、河合澄子は東京大空襲を逃れて生きていたことになります。
これを見つけた瞬間、とても感激したのは言うまでもありません。
同年代の浅草オペラ女優・木村時子と同じく、彼女は一時浅草を離れてどこかで疎開生活を送っていたのでしょう。

昭和21年5月ならば彼女は当時52才(47〜48才の説もあります)。彼女はなおもダンスを続けたのか、一般の市井の人に戻ったのかはわかりません。生きていたという確かな情報源がどこかにあるかもしれないので、東京新聞を中心に当時の新聞記事を読み進めてさがしてみようかと思います。
また、twitterでも少し触れたのですが、休みの日を利用して松が谷〜鳥越周辺の寺院を訪ねるなど地道に調べていくつもりです。

(2016.3.22 本文を一部修正・追加しました。) 

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