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zoom RSS 幻の歌姫・高井ルビー その4

<<   作成日時 : 2016/11/19 01:06   >>

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本ブログもすっかりご無沙汰しておりました。
今回は高井ルビーさんの手掛かりを知りたく調査したことを書きたいと思います。

まずは高井ルビーさんの経歴についてまとめを。
1904年(明治37年)生まれ。群馬県出身。本名・天田春音(あまだはるね)。
14歳のころに上京。井上起久子のもとに弟子入りし、「高井爾美」の芸名でコーラスガールとしてデビュー。
新星歌舞劇団に所属したころ、劇作家・獏与太平に紹介を受けコロムビアでレコードデビュー。
1926年(大正15年)佐々紅華作曲「君恋し」で一番最初のバージョンの歌を吹き込んでいる。
代表作として「銀座小唄」オペレッタ「茶目子の一日」。また「天田春美」の変名で吹き込んだ作品もあり。
引退後は横浜で旅館を経営し、晩年は熱海で生涯を全うする。

Wikipediaも含めて簡単にまとめるとこんな感じになりますが、
引退後、晩年の動向がはっきりしないので少しづつ調べてきました。

まずは前回高井ルビーさんの記事で紹介した彼女の終生の友人であり、ルビーさんの晩年を知るキーマンの
青山順三氏について。幸いご親族の元東京大学教授のロシア文学者・島田陽さんとコンタクトを取ることができ、島田さんからメールで貴重なお話を聞くことができました。

青山氏は若かりし頃浅草の劇場や映画館のスタッフとして働いていたことがあり、そこでルビーさんと知り合ったようです。
戦後東京を後にした彼は淡路島で長い間酪農に従事しており、また英語の塾を開いていたことがあったようです。
一時は箱根にある教会の修養所の管理人をしていましたが、健康を害して淡路島に戻り、1982年に78歳でこの世を去っています。
そしてもうひとつ、青山氏あてにルビーさんの親族の訃報のハガキが残っていたことも教えていただきました。
そこにはルビーさんが過ごしていたと思われる熱海の住所と、亡くなった女性を筆頭に嗣子として近藤房子、天田亨(敬称略)の名前がありましたが、ルビーさんの本名、天田春音の名前はありませんでした。
島田さんに確認したところ、このハガキは昭和26年のものとおっしゃっていたので親族の方は昭和20年代から既に熱海に住んでいたようです。
ただルビーさんは横浜で旅館を経営していた(榎本健一談)という話があるため、本人はその頃から同居していたかどうかはわかりません。

島田さんのメールが届いた数日後、熱海の住所をたどってその住所の近くにある医王寺へ向かいました。
事情を話して訪ねてみると快く出迎えて頂き、ご住職から次のようなお話を聞くことができました。
まず、ルビーさんと同姓の天田亨さんという方は確かに近くに住んでいたが、2005年に亡くなりここで葬儀をあげたということでした。
そして亨さんは芸能プロダクション・サンミュージックの元社員で1970年代に歌手・太川陽介氏と双子デュオ・リンリンランランのプロモーションを手掛けた人物であったということでした。
また、亨さんが芸能関係の仕事にありつけたのは、ルビーさんの伝手があったお陰なのでは?ともおっしゃってました。
ただ、天田家はお寺の檀家ではなく、残念ながらルビーさんについてはご存知なかったようです。
そこでご住職は亨さんと親交があった女性の方に電話をかけて聞いてくださいました。

その女性によると、亨さん一家はお寺の所有する住居に間借りをする形で住んでいたそうです。
かすかに覚えているのは、ルビーさんらしき綺麗な女性が近所で着物を着て歩いているのを時折見かけた、ということです。
その方は近所のおばさん、という認識で挨拶を交わした程度なのでそこまで親しくなかったようです。
また、前述の親族の近藤房子さんも一緒に住んでおり、少し離れた所でスナックを経営していましたが、亨さんより前に亡くなっていたそうです。
ちなみに件の建物は、亨さんが亡くなった後事情があって取り壊されてしまい、現在は違う家が建っています。

少し遅れて彼のもう一つの著書「演劇ノート・思い出の人びと」を手に取ったところ、
青山氏が関西の雑誌「少年」1979年1月号で発表したエッセイの文章の中でいくつかの事実が判明しました。
なんと高井ルビーさんは近藤政二郎という人物との間に一女を儲けており、そのルビーさんの娘こそが近藤房子さんだと判明しました。
また、天田亨さんの名前も出ており、彼は房子さんの腹違いの兄と書かれていました。
(よって、前述の訃報ハガキの亡くなった女性は亨さんの実母と思われます。)

ちなみに近藤政二郎氏は戦前、浅草でオーケストラの指揮をしていた人物で、のちにコロムビア専属の作曲家となり「唐人お吉」「月形半平太の唄」など当時の有名な曲を多数作曲していた人物です。
青山氏は「ルビーさんと政二郎との忘れ形見の房子さん」と書いているので政二郎氏はルビーさんが房子さんを生む前に亡くなっているようです。
具体的な時期は調べていないのですが、政二郎氏の作曲活動が昭和10年頃に止まっているので恐らくその頃かと思われます。

そして青山氏は文中で「高井ルビーは最近熱海で亡くなった」と書いておりました。
件の文章が世に出たのが1978年12月頃と思われるので、おそらく亡くなったのはこの年(あるいはこの1〜2年前)であろうと思われます。

私はルビーさんが熱海で亡くなっているので、当時の住所も判明しており近所の寺に眠っているだろうと思ってましたが、長女・房子さんも含めてどこのお寺に行ったかもわからず、思いのほか捜索が難航してしまいました。
また、亡くなってから40年近くも経っているので、当時を知る近所の方もほとんど居られないようです。
今後も熱海に足を運んで直接聞き込みを続けたりするなどして情報を集めていきたいと思います。

(追記:つい最近の話になるのですが、医王寺さんから高井ルビーさんの本名、天田春音の名前を見つけたということです。
1969年(昭和44年)当時のお寺の寄付者名簿の中に彼女の名前があり、数万円の寄付をしていたことが判明しました。)

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